【対談】めぐろのY子(ブロガー)×橋中今日子(メンタルコーチ)「介護を“話す”のが大切」

【対談】めぐろのY子(ブロガー)×橋中今日子(メンタルコーチ)「介護を“話す”のが大切」

 「介護を相談する相手が身近にいない」「介護の話を周りにしていいのかどうかわからない」と感じている方の声は、安心介護にもよく投稿されています。 最も身近な介護の専門家であるはずのケアマネジャーさんにも、「どこまで話していいのかわからない」「話しづらいことがある」という方も、少なくはありません。 今回は介護中にお互いの支えになっていたというお二人にお話を伺い、介護中だからこそ他者とコミュニケーションをとる大切さ、そのコツ、そして介護仲間の重要性を、たっぷり、そしてざっくばらんに話していただきました。

対談1

写真右:めぐろのY子さん イラストレーター/ブログでマンガを更新中 http://ykomeguro.blog84.fc2.com/ 東京在住。「平日は仕事、週末は実家で介護」という日々を13年過ごし、その様子を描いたマンガブログが人気に。昨年9月に母親を、今年の1月末に父親を看取った直後の対談となった。

写真左:橋中今日子さん 理学療法士・リハビリの専門家/メンタルコーチ 滋賀在住。認知症の祖母、重度身体障害の母、知的障害の弟の3人を介護。シングル介護歴は20年を超える。「介護者メンタルケア協会」を設立し、家族を介護している方、医療・介護の現場で働く方が「心が軽くなる」よう、心身両面からサポートする活動中。昨年の8月に母親を看取っている。

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介護の話ができる人がいなかった

めぐろのY子さん(以下Y子):最初は周りに介護をしている人がいませんでした。10歳以上年上の人になるとようやく「そういう知り合いいるよ」とか、情報を教えてくれたりもしたけれど、最初はすごく孤独だった。

橋中今日子さん(以下橋中):私は誰もいませんでした。母が鬱だったりアルコール依存症だったりと、家族の問題のこともあり、姉は逃げることで自分を守っていたので、家族のことに一切タッチをしなかったんです。 私は次女だけれど、なんとなく大学で福祉の勉強をして、理学療法士になる勉強をして、介護と医療の現場にもいたので、「今日子がしてくれるだろう」と姉は思っていたし、自分もできると思っていました。 職場で介護の苦労を「わかってもらえない」ということが続いて、これってもしかして自分が「助けてって言えなかったからかも」と気づくことがありました。そこで心理学の勉強をしていく中で、仲間にいたのがY子ちゃんでした。 仲間と意見交換をするメーリングリストで、私が「母親がすごく食が細くて食べられなかったときに、デイサービスの職員さんがすごく小さく作ってくれたおにぎりを食べてくれた」と書き込んだときに、「わかるー」と反応してくれて、初めてY子さんが介護をしているって知りました。 まだ会ったこともない頃でしたが、「介護してたんだー」と。でもその後にも距離感というのは変わりませんでした。

Y子:私が介護にかかわりたくなかったから。人に話したりすると、自分の問題が深刻になってしまう気がして、プライベートには介護を持ち込みたくなかったんです。親の家に帰ったときだけ、一生懸命介護をするっていう感じで、あとは介護を一切遮断するようにしていました。 きょんちゃんが嫌だったというわけではなくて、自分の中に介護が入ってくるのが嫌だったんです。

距離が縮まったきっかけ

Y子:どうしようもなくなったんです。弟が病気になって、父も倒れ、母も倒れて。旦那はかかわりたくないという人で、一人でやんなきゃいけなくなったときに、相談したんです。 ケアマネともコミュニケーションがうまくいっていませんでした。性格的な相性が合わない時期が長かったので、誰に何を相談したらいいのかさっぱりわからなかったんです。

橋中:5,6年前に相談を受けたのですが、Y子ちゃんが「我が家は陸の孤島のように孤立していた」って言ったんです。ケアマネさんもいて、デイサービスも行っていて、どうしてこんなに孤独なのだろうかと。

Y子:13年前、ケアマネさんはまだ新人さんで、家族の気持ちとかもわからなくて。

橋中:この声はY子ちゃんの家だけではなく、いっぱいあるんですよね。本当なら目の前に助けてくれる人がいるのに、これっておかしくないですか? この孤独って、サービスや施設が足りないだけではない何かがあるなと。 介護者の声を聴く活動を始めるきっかけは、Y子ちゃんがくれたんです。

Y子:わざわざうちに来てくれたんだよね。

ケアプランに「沿わなきゃいけない」と思っていた

橋中:ケアマネさんがいたら困らないはずのことに、「なんでそんなことが起こっているんだろう」と思って。

Y子:きょんちゃんから言われてすごいびっくりしたのが、「ケアマネさんに要望を提案する」ってことでした。それまでケアマネさんが作ってくれるケアプランに、「沿わなきゃいけない」と思っていたんです。 アドバイスされた通り、「あーしてほしい、こーしてほしい」っていう要望を、「点数が超過しているからダメなんじゃないかな?」と思いながらも伝えてみると、「なんとかしてくれる!」という新しい道ができたんです。

橋中:私が何でそれを言ったのかというと、彼女が言っていた「ケアマネさんが動いてくれない」というのは、私が受ける相談のほとんどなんです。

Y子:仕事では「もうダメなんです! 崩れそうなんです」とかって、感情を伝えてはいけないじゃないですか。ケアマネさんとのやりとりも、仕事のように必要なことを箇条書きにして伝えていたんです。 でも感情を伝えたら、「ここは尋常じゃない状態なんだな」って伝わるというか。

橋中:お父さんが倒れました、お母さんが倒れました、弟が病気ですって言っても、伝わらないんですよ。でも「疲れました」が通じる。あと、泣きなさいも言ったよね。

Y子:仕事じゃ泣くのはご法度だから、「泣く? できない!」って思ったんですが。 具体的にしてほしいことを伝えるんじゃなくて、「私はもう無理です」って泣き崩れた瞬間に、向こう側がガタガタって動いてくれました。

橋中:悔しかったんです。私自身が孤独だったから、介護家族が孤独なのはいけないと思って。とりあえずY子ちゃんのところに行ってみたんです。 そのおかげで、Y子ちゃんをモデルケースにして、相談に活かせています。「泣いてますか?」とか、「どんな伝え方をしていますか?」とか聞いてみると、ケアマネジャーを「あてになりませんから」とか、「ハンコを押す人だと思っていますから」とか思って、まず伝えていないことが多いですね。 一度は伝えようとしたけれど、伝わらなかったという気持ちがあるんだなと。 「泣きなさい」ってすごく勇気がいったけどね。

Y子:うん

橋中:それは私がやってきたことなんです。上司とかヘルパーさんの前で泣くとか。ケアマネはハードルが高かったけど。泣いて初めて通じたっていうのを、彼女に伝えてみたら同じようにうまくいって。 それを他の人に伝えてみたら、やっぱりケアマネさんの対応が変わると。変わるんじゃなくて、ようやくコミュニケーションが取れるようになるんですね。ケアマネさんが悪いわけじゃないんですよ。 みんな感情ではなく、状況を説明しちゃうんですよね。

Y子:例えば週末は疲れ果てているのに、「土日は私がやりますから」ってつい言っちゃうんですよね。そうすると、「土日は任せられる」ってなって、どんどんが私がつぶれていくことになるんですよね。

橋中:しっかりしていると、介護要員のひとりになっちゃうんですよ。最近は少なくなったけれど、「介護の基本は家族。足りないところはやってあげますよ」って思っている介護関係者もいたり。 介護保険は要介護者本人のものだって知っているから、自分のことを相談できないという家族もいます。 家族が疲弊して事件を起こしていることをわかっている介護関係者には、家族もサポートしなくちゃというまなざしを持っている人もいますが、気づかない方もいらっしゃる。

笑うとどうでもよくなる

橋中:私はもともと彼女のブログのファンだったんです。8年前に母が倒れたんですが、その前は「寝たきりになったら、施設に入れてやる」って思っていました。 でもいざ寝たきりになったら「家に連れて帰りたい」と思ったんですね。 意識が戻らなくて不安な1ヵ月、2ヵ月を過ごしていたときに、Y子ちゃんのブログに出会って、一番つらい時にすごく励まされたんです。 だから「仕事を辞めるしかない」とか「絵を描きたくない」と彼女が思い詰めたときに、「待って!」と思いました。

Y子:すごく支えてくれました。 介護が大変なときとか、父や母が倒れたときとか。私は大変だと引きこもって誰にも言えなくなっちゃうタイプなんですが、「生きてる?」って手をつかんで引っ張りだしてくれて、すごく救われています。

橋中:それは私が最初に救われたというのがあったので、「ここで引きこもらせるか!」というのがありました。 それに彼女の絵の可能性を感じていて、人の心に染みわたるような、優しいものを届けられる人なので。 それに私は深刻になりがちなので、笑わせてくれたっていうのも大きいです。

Y子:すごく深刻なときにも、エッチな話をするとどうでもよくなるんですよね。

橋中:どうでもよくなるよね。大概つまんない話で終わるよね。

Y子:「母親が死にかけてる」とか、どうでもよくなるよね。

橋中:最初はそんな話をしていなかったんだけど、恥ずかしい話までできるようになったり。介護のウンチの話とか、ひとりだとすごく深刻になるんだけど、話すと笑えちゃう。 部屋にブツが広がっているのとか、経験した人しか分かんないよね。

対談2

Y子:うちは兄弟がいたから「大変なことになっております」「ラジャー」みたいにしてたけど。そうじゃないと、とてもじゃないけど乗り越えられないっていうかね。 誰も悪いわけじゃないから。本人が一番傷ついているのがわかるから、「大丈夫、大丈夫」って言うんだけど、すっごくエネルギーを消耗するんだよね。

橋中:それが続くと叫んだり、怒ったりしちゃう。友だちも呼べないし、自分も臭いし。

Y子:どうしてあんなにウンチって存在感があるんだろうね。

橋中:っていう話ができてホッとするんですよね。話せて安心するから、相談されても「臭いって言っていいよ」って言ってあげられるんです。 「おしっこを臭いと思っちゃうんです」って相談されたら、「それは思うよね」って。Y子ちゃんに打ち明けられたから、「余裕がないだけだから心配しなくていいよ」って、言ってあげられるんですよね。私も臭いなんて言えなかったし。 「うちだけじゃないんだ」って安心だよね。

Y子:介護アルアルの話をしているときって、すごく安心するよね。野菜が腐っているとか、家が汚いとか。

橋中:それって自分を責めるんだよね。最初にY子ちゃんが言ってくれたのが、「うちって野菜が腐ってるんだ。最低でしょ?」ってことでした。 「うちも腐ってるよ!」って話から、家が汚い、ウンチと戦ってる、衣類が臭いとかって話をし始めて。

Y子:あとはお金のことを相談できたのも大きかったです。介護ってどんどんお金が出ていくけど、人に相談できなくて。 「こんな制度もあるよ」とかっていう情報を教えてもらえるのもそうだけど、話を聞いてもらえて、「うちも不安だよ」って共感してもらえたことが大きかったです。

言いにくい事こそ話すのが大切

橋中:相談って大切なんですよね。 お父さんがお母さんに暴力を振るっちゃったんだけど、「お金がないから施設は無理!」って言っている相談者がいて、まだ要介護2だから特養にも入れないし、仕事を辞めて、家に入って介護をしなくちゃいけないって思いこんでいて。 でも地域包括支援センターに相談したら、すぐに老健のショートステイが決まって、それから3ヵ月後にグループホームが決まったんです。 世帯分離とか生活保護とか、方法はいくらでもあるから、まずは相談することが大切なんですよね。 こんなに早くに決まったのは「お金がない」って言えたことと、それよりも父親の暴力を言えたから。最初は、「お父さんがお母さん殴ったって言えない」と言っていて。

Y子:言えないよね。うちも起こりかけたことがあるんだけど、なによりも言えなくて。でも言えないことを言えたときに、ケアマネさんとか医療関係者とかが、バタバタと動いてくれる感じで。 最後にはケアマネさんにお金の相談までしていました。ケアマネさんと一緒に育ってきた感じ。

橋中:「ケアマネはあてにならない」って思ってしまうのは、もったいないと思うんです。ケアマネさんも学ぶ機会を失っているし、ケアマネさんもどこまで介入していいのか困っていると思うし。

なぜ“介護”を人に話せないのか

橋中:しゃべっていたら、たまに「私も」って言ってくれる人もいるから、言ったもん勝ちなんじゃないかと思っているんだけど。

Y子:最初は「重そうな人」って思われたくなくて、言えなかったんです。 気軽に「私介護してるんだ」って人に話せるようになるまでに10年以上かかりましたね。なんで隠すんだろうね。

橋中:自分はまだ大丈夫だって思いたいから。特に男性の方とかは、「自分はまだ深刻じゃないよ」って思いたいから。

Y子:人に言った時点で、深刻な事態だって認めなきゃいけない気がして、自分で自分にセーブしちゃっているんでしょうね。

橋中:みんな気づかないうちに疲れていて、気づかないうちに追い込まれているんですよ。会社に勤めている方は、「キャリアに影響が出るから、相談できない」って思われているけれど、まだ、自覚がないっていうのもあると思う。 自分が相談する時期なのかわからなくて、ずるずる過ごして、ある朝起きられなくなるんだよね。

Y子:人間って精神の生き物だなって、本当に思いました。身体は丈夫なのに動けなくなっちゃう。寝ても疲れは取れないし。 働いている人は多いと思うんですが、「自分が辛い」ってことに気づけなくて、「起きられない」とか「ぶつぶつがすごい」とか、体調がおかしくなってやっと気づくとか。

橋中:私は1週間、母親とおばあちゃんを怒鳴り続けて初めて気づいたんです。はじめは「ただちょっとイライラしている」ぐらいだったんですが。

怒鳴ってしまった時は限界に気づくチャンス

Y子:私も長い間怒鳴っちゃったことがあって、自分でもすっごくびっくりしました。そんなことが何回かあったんです。

橋中:何回かやるよね、止まんないの。そこで、虐待する人になるか、自分の中に押し込めて病気になるかで別れると思う。

Y子:自分でも怒鳴ったことがショックで寝込んじゃって。

橋中:でも抑えていたものが出ただけなんで、いいことなんですけどね。 私も「そのまま抑えていたらどうなっていたと思う?」って他の人から言ってもらえて、望んだ形じゃなくても出てよかったなと。

Y子:両親と同居している弟が怒鳴ったりしていたときには、「気が高ぶったら1泊できるお金を持って家を出て、タクシーに乗って〇〇へ行け」ってコースを設定していました。 怒ると思考が停止されちゃうから、カーッとなったらする行動をしこんでおいて。

橋中:男性にはそれが必要かも。一回息を吐くためにも、そこから離れるっていうのが。逆に向こうが怒っているときにも、その場から離れてから考えるのがいい。

介護が気軽に話せる時代になるといい

橋中:まだハードルは高いけど、「まだ元気なんだけど、親が認知症って診断されちゃって」、「実家が片付かなくなってきて」って気軽に話ができるような時代になるといいなって思っています。 実は職場にもいたんですよね、乳飲み子を抱えながら祖母の介護をしている人が。でも育児休暇もとっていたので介護のことを言えなくて。 私が介護の事を言うようになったら、「実はね」と話してくれたんです。お昼休みの数分しか話さなかったんですが、「橋中さんに話せたから、主人に相談できるようになった」って。

Y子:意外と配偶者に相談できないんです。重荷に思われると嫌だなって。

橋中:これからは特に介護をする人が増えてくるから、自分の居場所で話せるようになるようになるといいなって思っていますね。

諦めずに相談を

Y子:地域包括に相談すると、「ケアマネさんに相談して」って言われちゃう。そうするとたらいまわしにされたような気がして傷ついて、また相談できない負のスパイラルに入っちゃうんだよね。

橋中:それが3年前だよね。3年でいろいろ変わったけど、たらいまわしにされたって感覚があるともう相談しなくなっちゃう。

Y子:日本人は信用していいと思う。感情を出して、「助けてください!」って言うと、一生懸命助けてくれようとする。 そこは信頼してもいいんじゃないかって、介護が終わった今なら思う。

橋中:事情を理解してもらって、要介護度が低くても特養に入れたり、必ず例外はあるんです。地域格差はあるかもしれないけど、諦めずに伝えて欲しいなって思う。

介護仲間との付き合い方

橋中:介護仲間との付き合い方で気を付けてもらいたいのは、ケアマネとかを敵にして「ダメだよね」で終わりにしないで欲しいってことですね。役立つ情報を共有してほしいです。

Y子:あと、「あっちのケアマネさんはいいけど、うちのはダメ」みたいに比べちゃって、諦めちゃうこともあるけど、諦めないで言い続けるって大事だよね。

橋中:辛いから誰かのせいにしたくなるし、ヘトヘトで助けてなんて言えなくなるけど、そもそもケアマネさんになっているわけで。

Y子:ケアマネさんになっている人ってすごい人だよね。

橋中:私はケアマネさんのことを、「泣いてダメだったら、変えていい」って言っています。ケアマネさんを変えるのって大変だし、変えても伝え方が一緒なら、同じことになるし。 ちょっと試してほしいなって思います。すぐに希望通りの回答が来なかったり、反応はないんだけど、自分でボールを投げ続ける練習をして欲しいです。

Y子:介護仲間に介護のあるあるを話して練習しておくと、人に伝えるのがすごくうまくなるよね。

橋中:介護の相談に乗るときも、「私に話してくれたことを、そのままケアマネさんに伝えていいよ」って言っています。練習のように話せる相手が、身近にいる人が増えるといいな。

Y子:あと、家族会に行くのが嫌だったんです。でも家族会に行くと確かに楽になるとわかった。介護に関しては、手段を選ばなくても、スマートにいかなくてもいいやって、今となっては思います。

橋中:相談しやすいところでいいと思う。安心介護でも。

Y子:私が最初に相談したのは、安心介護。匿名で相談したら、いろんな人がいろんな意見をくれて、わかってくれて。

橋中:身近で信頼関係がある中で介護仲間になれたから、私たちは運が良かったんだと思う。でもそんな関係は、ネット上でも築けると思う。

介護者へのメッセージ

Y子:今は苦しいと思いますが、大丈夫です。誰にも話せないって苦しいですよね。

橋中:「助けて」って言ってくださいね。

Y子:介護は絶対に終わります。

橋中:トンネルは抜けるって感じかな。相談してくださる方のほとんどが、「苦しかったけど、介護してよかった」って言いますね。

Y子:介護っていう泥沼の中に、結構ダイヤモンドが転がっている。それを手に取ると、介護の価値が変わっちゃう。ダイヤモンドを拾うためにも、介護者が休むのは大切。

橋中:介護って最初はすることが増えるけど、最後はできないことが増えるんですよ。見ているしかないっていうか。期待通りにできないこともあるんだけど、それも含めて、よかったって思える時が来るっていうのかな。

Y子:介護をしているときは、人生の非常事態。私は1日の終わりに高級な化粧水とか使っていました。そんなささいな贅沢が、自分を支えてくれました。

橋中:お風呂につかったり、ショートステイに行ってもらって、起こされない朝を迎えたりとか。

Y子:マンガの大人買いや海外ドラマをレンタルして続きを楽しみにするとか。介護の時は普段なら節約のためにやらないことをして、非常事態を生き延びて欲しい。

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東京都にお住いのめぐろのY子さんと、滋賀県にお住いの橋中さん。 介護について支えあうだけではなく、お互いの仕事や活動にも影響を与え合うお二人は、自分たちで言うように「運がいい」のかもしれません。 ただそれも、橋中さんが介護をしていることをオープンにしていたことや、どうしようもなくなったときに、避けていた介護の話を切り出したY子さんの思い切りがなくては、その運も逃していたことでしょう。 介護の話を思いっきって周りに打ち明けることで、自分自身が楽になるだけではなく、周りにいる人の助けにもなるのだということを、実感させてもらえる対談でした。

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