終末期の方が「食べる」意味。研究者が見た3つの事例

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年齢を重ねると食べることや誰かと過ごす食事の時間が、大切な楽しみになってきます。「自分の口で食べる」という行為を長く続けるためにも、元気で健康に過ごすためにも、口腔ケアや嚥下訓練は欠かせません。 >>高齢者の口腔ケアの目的と方法

しかし終末期を迎えて食が細くなると、食事が楽しみではなくなってきます。そんな終末期の患者さんが「食べること」の意味にはどんなものがあるのでしょうか。

入院中の終末期患者3名を臨床看護師が研究した論文「終末期の患者が食べることの意味」から、答えを探ってみましょう。

数ヵ月以内に訪れる死を意識した患者が対象

論文の冒頭で、口から食べることの意義についてこのように書かれていました。

口から食べることは、単に栄養素を摂取するだけでなく,食べる人と「食べ物」「食べさせる人」「食事の場」とが触れあうことにより、五感を通して脳に刺激を与え、人間らしく生きる原点として、人に生きる喜びと楽しみを与えるという重要な意義をもつ。 引用元:「終末期の患者が食べることの意味」

この論文には、「生きる力や食べる意欲を引き出す食への援助について行われた研究は少ない」ということも書かれています。

研究の対象となったのは、数ヵ月以内に自身に死が訪れるということを意識している患者さんだそうです。

「食べることの意味」には、口から食べ物や飲み物を摂取することだけではなく、実際に食べられなくても食べたいものを思い浮かべることも含まれています。

終末期の患者が食べることの3つの意味

論文では研究結果から、終末期の患者が食べることの意味を、3つのカテゴリーに分けています。

深く味わい、心地よい思いに浸る

思うように食事ができなかったり、したいとは思わない状況でも、「心から食べたいと思うものを食べる」ことで、食べ物を味わって満たされたり、思い出の味を懐かしみながら、今までの人生を振り返ったりできます。

食べることで、生きている自分を支える

死が近づいていても、食べることで生きていることやまだ残された力があることを実感し、生きている自分を支えることができます。

食を通して最期に向けて準備をする

特別な食べ物を大切な人と味わうことで、思い出を残し、最期に向けて準備をします。また、大切な人が用意した食べ物を食べることで、その人に感謝を伝え、最期を迎えた後の悲しみを受け入れます。

実際の例:妻の差し入れで生きる力を取り戻した男性

肺がんや肺炎、糖尿病を患い、入院中も糖尿病の制限食を食べていた70代男性。

しかし最期の時間が近づく中で、男性が好きなものを奥さんに差し入れしてもらうように話してみました。

すると男性はうれしそうな表情を見せ、糖尿病のために避けていた「天丼」をリクエストしたそうです。翌日、奥さん手作りの天丼を食べた男性は、「思い通りの味じゃなかった。調子が悪いから味もわからないんでしょうね」と話したそうです。天丼は半分残されていました。

しかし翌朝には食欲を取り戻し、残した天丼を食べ、それまで残しがちだった病院食をほとんど食べられるようになりました。食べ物から生きる力をもらい、食べる意欲を取り戻したのです。

その後も奥さんにリクエストした食事を食べるようになった男性。最期の食事は、奥さんが持ってきてくれた柿でした。

介助されるのではなく、自分の手で食べたそうです。そして看取りのために訪れた家族に、「さっきね,柿を食べたんだよ。おいしかった」と息を切らしながら話したそうです。

奥さんは最期の食事が自分の持ってきた柿であったこと、それを自ら口に運んだこと、そしてその事を伝えてくれたことを、うれしく思っていたそうです。

実際の例:すき焼きのために外泊を叶えた男性

肺がん、多発性脳転移、副腎転移の70代の男性は、退院をあきらめて最期まで病院で過ごすつもりでいました。高齢である妻の負担になりたくないと考えたからです。

そんな男性に研究者は、退院して帰宅をしなくても、調子のいい時に外出や外泊という形で帰宅ができることを告げ、「もし家に帰ったら、何かしたいことはありますか?」と聞きました。

すると明るい表情で返ってきた答えは、「すき焼きが食べたい。松坂牛のね。やっぱりおいしい肉が食べたい。孫も呼んで、みんなでわいわいやりたいね」というものでした。

さらにその後のリハビリの成果もあり、実際に外泊して家族ですき焼きを食べるという希望をかなえたそうです。

自分の力で外泊をかなえた男性を研究者は、「残された自らの力で食事の場面を作り、大切な人とともに味わい、最期に向けて準備をしていた」と表現しています。

実際の例:思い出と違った母の味

肺がんで入院している50代の女性には、疎遠になっている母親がいました。死が迫っていることを知っていたものの、母親にはそのことを告げず、「肺炎で入院をしている」と伝えていたそうです。

数日後に母親がやってくることを知った研究者は、女性が子どものころに好きだったという、炊き込みご飯を持ってきてもらうように頼んだらどうかと提案しました。

母親の体調の悪さを気にしていた女性でしたが、それが母親と会う最後の機会になるかもしれないと考え、好きなものをリクエストしました。数日後、母親と会った後の女性は、久しぶりに食べた母の味を「全然だめだった」と語ります。

母親が年を取ってしまったことや、女性の健康を考えていろいろと手を加えたことが理由でした。しかし、子どものころに作ってくれたお弁当を持ってきてくれたことや、お弁当に入っていた変わらない味の生姜の糠漬けについて話す表情は、とてもうれしそうだったそうです。

亡くなる5日前、女性は研究者に苦しい呼吸の間からこう話しました。「…母も、もし自分が死んだ後に、何かしてあげられてよかったって思うんじゃないかしら。やっぱり食べられてよかったと思う」

自分の死が母親を悲しませることを考え、それでも自分が作ったものを最後に食べさせられたと知れば、母の悲しみを和らげられるのではないかと女性は考えたのです。

食べられない姿を見ていると、避けてしまいがちな食べ物の話ですが、状況をうまく見極めたうえでなら食べ物の話をするのもいいようです。

介護家族が切り出すと、本人も感情的になってしまうかもしれないので、介護や看護の専門家の方に、うまく引き出してもらえるといいかもしれません。