【卒・介護者インタビュー】週末介護を続けた13年間。家族が活気を取り戻したきっかけは、“自分の楽しみを優先させた”こと

【卒・介護者インタビュー】週末介護を続けた13年間。家族が活気を取り戻したきっかけは、“自分の楽しみを優先させた”こと1


 「介護」と一言で表しても、人それぞれ事情や中身は違います。それでも介護を通じて得た経験や知識は、確実に誰かを救い役に立つことは、安心介護内のやり取りを見ていると実感できます。 人々は介護が終わった時に何を想い、何を伝えたいと思うのでしょうか?

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今回はイラストレーターとして会社で働きながら遠距離介護を続けていた、めぐろのY子さんをご紹介します。 まだ若い60代のうちから左半身麻痺となった母親と、それを一人で支えようとした父親。Y子さんは週末になると実家に戻り、そんな両親を支える生活を13年間過ごしました。 まだまだ若い両親のために企画したというイベントについてや、家族が活気を取り戻したきっかけ、そして「後悔はない」という介護生活を振り返っていただきました。

【めぐろのY子さんプロフィール】 イラストレーター/ブログでマンガを更新中 http://ykomeguro.blog84.fc2.com/

東京在住。「平日は仕事、週末は実家で介護」という日々を13年過ごし、その様子を描いたマンガブログが人気に。昨年9月に母親を、今年の1月末に父親を看取っている。

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ひとりで介護を抱えようとした父親

13年前に母が脳梗塞になり左半身麻痺に。確か要介護2,3からスタートし、父が主介護者でした。介護サービスはほとんど入れていなくて、ただケアマネさんが週に2回、掃除のためにヘルパーさんを入れてくれていました。 ヘルパーさんが来る前に父が慌てて掃除して却って疲れ果てしまったりというのは、介護アルアルだと思います。 母が倒れたのは、父の定年退職の日。なので父もやる気にあふれていて、家族のお手伝いを拒むようになっていました。一人で抱え込んじゃう状態が、何年間か続きました。 途中で父も倒れ、父自身も要支援1か2になっても、ヘルパーさんはあまり来ていなかったと記憶しています。両親が倒れるのが繰り返され、私も月に2回帰って週末介護をしていたのが、月3回から毎週へと頻度が高くなるようになりました。 介護を1人で背負おうとした父を、当時は「頑固者」って思っていました。でも、今となっては、子どもに苦労をかけまいとしてたんだなあと、父を尊敬する気持ちになっています。

徐々に介護サービスを使うように

ご飯を作るのが難しくなったころにお弁当を入れたりと、少しずつ介護サービスを入れていきました。それでもヘルパーさんは拒んでいて、かろうじて母が週に1回デイケアに行っていたぐらいです。 母が倒れて8年目に何ともならなくなって、訪問の看護、歯科などを入れていくようになりました。 大きく介護サービスを入れるようになったのは、3年前に父が倒れたとき。ヘルパーさんに週5日、朝と夕方の2回来てもらい、ご飯の準備や母の着替えをお願いするようにしました。

家族全員が疲れていた

その頃には、父も要介護1とかになっていたと思います。母はショートステイとかに行きたがらない人だったので、最後まで使いませんでした。 週末には私が実家に帰っていたんですが、私も疲れ果てて倒れちゃったりとか。 両親それぞれに訪問看護士に来てもらい、お薬の管理をしていただいていました。主治医もいたので、何かあるとその人に相談していました。後は訪問リハビリとか。それでも支えるのは大変でした。 母はトイレにもひとりでは行けなくなって、要介護1 の父がトイレに母を連れて行く、老老介護の状態でした。 土日に父を休ませたんですが、全然休みにならないというか。うちは家族がみんな仲が良くって、笑いがあふれる家だったんですが、最後の方は空気もしんどくなり、私もうつっぽくなっていました。

自分を優先させたら、家族に笑顔が戻った

そんなときに何を思ったか、突然「ミュージカルをやりたい」と思ったんです。それまで土日は実家にいたので、習い事もできなくて。でもどうしてもやりたいと思って、両親に「やらしてほしい」と頼んだんです。両親も娘にこんな思いをさせてと罪悪感を抱えていたので、「いいよ」と言ってくれました。 そして5月から8月まで、ミュージカルのプログラムを受けたんです。その頃は介護をまず優先して、次が自分の人生。仕事もしなくちゃいけないし、自分が楽しいことをやっちゃいけないと思っていました。自分がやりたいことは後回しになっていたんですね。 やりたいことを真っ先に持ってきたら、介護がダメになっちゃうんじゃないかと思っていたんです。でも、歌とか踊りの練習とか、やりたいことを楽しんでいるうちに、介護が辛くなくなったんです。 朝、家に帰って3食分ご飯を作って、1時間半ぐらいかけて練習場所に行って、夜に帰っていました。その時には父も母もへとへとなのに、私が「こんなこともあったよ」「こんな楽しかったよ」って、外の楽しい空気を持ち込むだけで、家の空気がすごい変わったんです。あれはびっくりしました。

▼よく散歩に行っていたという近所の林。Y子さんの弟さんが母親に木漏れ日を見せているところ それまでは会話も滞りがちだった家族が、「踊りでこけちゃってさ」とかって話が新鮮で、みんなに活気が戻ってきたなっていう、すごい不思議な体験でした。

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「後悔ややりこぼしたことが1個もない」

「介護をしても人生をあきらめないで」というのは、友人のきょんちゃん(橋中今日子さん/介護者メンタルケア協会の代表)の言葉です。本当にその通りで、心に栄養を与えると、かなり辛い事でも楽しめるようになるって感じられました。 みんな介護を優先して、自分のことを後回しにしているうちに、どんどん心が先細ってきちゃうっていうか、それをすごい実感しました。その体験があった後に、父が入院し、母が入院し、それぞれとのお別れがあったんですが、13年間あんなにみっちりと介護をしたおかげで、後悔ややりこぼしたことが1個もないんです。

介護を終えて思うこと

今実感しているのは、介護をしているときには終わりが見えないってこと。でも、絶対に終わりは来るんです。 介護をしている間は視界が狭くなって、「自分は終わった」って思っちゃうんだけど、絶対に終わります。「あなたが元気なうちに終わりは来る」って、今介護をしている人に伝えたいですね。伝えられたら、私の体験はそのためにあったんだって思えるから。 あと介護をしていると、親子関係が密接になります。大変なだけに、ケンカすることもあったけれど、ケンカを乗り越えてまた仲良くなる中で、信頼関係が築けました。両親は最後まで、親であろうとしてくれました。

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(画像引用元:ブログ「めぐろのY子より」

「ありがとう」をたくさん言った13年間

うちの母は60代後半で倒れたんです。まだ若いこともあって、両親を楽しませたいと、いろいろと気ばらしのイベントを考えました。 介護も嫌々やるとすっごく辛いのですが、イベント企画を考えて実行すると、成功したときに自分の自信になるんです。イベントをしたことで、バラバラだった親子仲がすごく深くなった点もいいことでした。 イベントの成功には、旅先の宿の方など、周囲の協力も大きかったです。お客さんも一緒になって母の車いすを持ち上げてくれたり。 公園とか公共施設とか、車椅子や障害のある人が最優先にしてもらえるんです。すっごく並ぶテーマパークに並ばずに入れたりして。そんなときに「お母さんのおかげだよ」って言うと、母の自信にもなりますよね。 介護を通して、周りの方への感謝が大きくなりました。こんなに「ありがとう」と言うことはない13年間でした。

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介護を振り返り「後悔はない」と語るY子さん。イベントや時にはケンカなど、介護を通して家族の仲が深まり、あらためて「親ってこういう人だったんだ」と分かったそうです。 トップの写真は、家族でアミューズメントパークに宿泊付きで行ったときのもの。仲の良いご家族だったことが写真からもうかがえますね。