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2015年11月12日 21:39

投稿者

その他 はるうさぎ さんの投稿 レギュラー会員

介護対象者の続柄:実母

認知症の有無:あり

要介護度:要介護5

介護状況:介護対象者が長期施設入所中

診断名:向精神薬依存症後のうつ病、廃用症候群、心不全

パパ、ありがとう 2009年10月19日のブログより

さっき、ふと読み返していて、昨日のことのように思い出しました。
自己満足ですみません。6年前の日記の転載です。

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無事に葬儀も終わりまして、生きている家族としての諸事に追われて
おります。

今日も午前中は母と二人で何件か回ってきました。が、週末の死亡届
だったため、まだ揃わない書類などもありまして、どうやらまだまだ用事は
済みそうもありません(^^;) 

後片づけもぼちぼちやりたいですが、まだ父の生存中から忘れないために
書き留めておいたことなど、ここに掲載させていただきます。
父に対しては精一杯のことをしてあげられたので、「ああすればよかった」
という後悔は全然ありませんでした。
その意味では本当に私は幸せな子供だと思います。
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9月末に退院した時点で「遠からずまた胸水が溜まることがあると思います」
と言われておりましたので、すこしずつ覚悟のようなものをしていたかも
しれませんし、素人介護の限界を感じていたのも事実ですが、やはり
家族の心境としては一日でも長く一緒にいたかったです。

10月7日に先生が採血して帰られましたが、その時点で父の心不全の状況は
かなり悪く、普通は138までという標準値がその10倍の数値になっていた
そうです。長年の不整脈などの影響で、のちに聞いたことによりますと、
父の心臓はすでにぼろぼろのようだったらしいです。そもそも脳梗塞の
原因が心房細動により出来た血栓が脳に詰まったものですし。

酸素吸入を受けて、いくらか呼吸が楽になったような父でしたが、13日頃から
徐々に尿の量が減り始めていました。それ以前に緩下剤を飲ませても
まるでお通じがないなあ、という状態がしばらく続いていましたし。

13日の午後以降、尿取りパッドで確認出来る尿量がないため、先生が
導尿チューブを入れて、尿量の確認をすることになりました。
が、14日は500ccにも満たず、15日は100cc前後という極度に低い数値
だったため、腎臓がかなり弱っているということは容易に推測出来ました。

並行して血圧が低下傾向にあり、脈拍がかなり少なくなりつつありました。
そのために時間外に看護師さんに何度も駆けつけてもらったり、先生にも
往診してもらったり、ケアマネEさんは3日連続で詰めていてくださいました。

「いいかげんな介護の家族だったら、こんなに私も真剣にはなりません。
ご家族が頑張っているから、私も最大のお手伝いをしたいと思ってます」
とEさん。Eさんには本当に親身に相談にのっていただきましたし、
本当に悩みも愚痴もなにもかも打ち明けていました。
母は「もう家族と同じだと思ってる」と言いますし。

15日の早朝、血圧がかなり落ちました。話しかけても反応がなく、体温も
低いようです。往診に来られた先生の顔もかなり深刻です。
実はこの時、父は一度三途の川を渡りかけて戻って来たようです。
私も半分くらいは覚悟を決めていましたので、冷たい父の頬にぴったりと
自分の頬をくっつけて、手を握って耳元で話しかけていました。
もちろん涙がぼろぼろです。母も弟も一旦は父に別れを言う覚悟で
いたようです。

けれども父の生命力というか、精神力は誰もが感嘆されるほど強かった
ようで、私がぴったりくっついているうちに、体温も血圧も戻って
きたんですよね(^^;) お昼頃には何度かくしゃみも出ましたし、しっかりと
眼を覚ましてもいましたし、「これはもしかするとまた回復して
くれるのかも…」とその日はみなで喜んだんですが…。

ちょうど10月13日が55回目の結婚記念日だったから、母が「いままで
ありがとう」などど言ったため、看護師さんに起こられていました(^^;)
「お母さん、そういう、いまにも死にそうな相手に言うセリフを
言うたらあかん!そういう時は『60年目まで頑張ろうね』と言わないと…」と。

ケアマネさんにはすでに父のこの時の状態が驚異だったらしいです。
すでに脈拍は30台に落ちていましたし、その脈ではっきりと意識があるのが
信じられないことだったようです。しばしば吐き気が襲ってきて、
痰だけではなく、濃い色の胆汁が出ます。とても苦しそうです。

看護師さんでもあるケアマネEさんの話で「尿が止まってしまうと、
大体24時間以内」という深刻な状況にあることを示唆されました。

母と弟、私と3人が交替で夜も見守りつる日が3晩続きます。さすがに
それだけ睡眠不足ですと頭も朦朧としてきます。けれども夜中に覗いても
父は大抵しっかりと眼を開けていました。寝たきりになってからの
父の目はいつも綺麗に澄んでいましたが、このあたりからさらに透明感を
増していきます。

体調が悪いとか、酸素濃度が低いとか、そういう時には必ず上方固定して
いた眼ですが、この最期の2日間はまったくそういことにはならず、
しっかりした知性の眼でした。

14日と15日の両日に父を訪ねてくれた人たちは看護師さんが6人、
入浴サービスの人たちは会社ぐるみで入れ替わり立ち替わり仕事の合間に
尋ねてくれて、父を励ましてくれます。事務所の全員が来られましたので、
20人近かったですね。多い時には看護師さんが4人、処置に
来られてました(^^;) かかりつけの先生は超多忙の診察の合間を抜けて、
一日に昼夜を問わずに5回も往診してくださいました。

うちの前が自転車とミニバイクで一杯になります。うちの事情を知らない
ご近所さんが「何事ですか?」と驚かれてたようです(^^;) 
こんなに多くの人に愛されていたんだなあ、と思うと素直に感動しましたし、
感激もしました。ものすご~く嬉しかったんですね。
「お父さんとお母さんの人徳ですね」とも言われましたが、確かにそうだな、と思いました。

普通、父のような病人ですとそばで話していることが理解出来ないばかりか、
意識がないのが普通らしいんですが、どうも父にはすべて聞こえて、
すべて理解出来ているらしい、という確信が生まれました。
父のまわりで関わる人たちや親戚たちの話の内容で、自分の死期が
近づいていることをはっきり理解していたようです。
そばで看ているとそういう話の内容で、父がパニックに陥り、それで余計に
呼吸も乱れていることがわかってきました。
「パパ、頭がクリアー?」と尋ねると「うん」と微かな返事。

なにしろ死ぬのが怖い人ですから、そういう風に怖がらせると余計に
可哀想ですしね~。15日の夜から16日の朝にかけて、父を落ち着かせたい、
と思ってそばで手を握っていた私の口から「魂の眼が開いたね」という
言葉がするっと出ました。父と対峙していると自分が言っていることが
真実だ、という不思議な確信がどんどん強くなってきます。

特定の宗教も、なにも関係がない美しい世界のことが私の頭にもクリアに
見えてきまして、それをそのまま伝えればいいんだな、と思いました。

夜中にお腹が微かに鳴る音が聞こえました。空腹のような音です。
父が微かな声で「ごはん…」と言いました。とことん生きようと
していたんだと思います。「先生に許可をもらってからにしようね。
吐き気があると苦しいでしょ?」「うん…」すでに胆汁が出るように
なってからはPEGにはなにも入れていませんでした。
苦しいだけだと言われていましたので。

この夜、父はずっと眼を開けていました。閉じてそのまま眠ってしまうのが
怖かったんだと思います。
「大丈夫。怖くないよ。私がついてるでしょ。ずっとそばにいてあげる。
怖いことも心配なこともなにもないよ。私らはずっと一緒だよ。
またすぐに帰って来れるからね。大丈夫。静かにゆっくりと息をして。
リラックス…。リラックス。だいじょうぶ…大丈夫…。」
…というような語りをずっと続けていますと、父はしっかりと視線を合わせて
私の話を聞いてくれています。

母が「恭子がいいの?」と聞くと「うん…」という微かな返事…。
本当に真剣に聞いてくれていたようです。

それを一晩中続けたかったんですが、哀しいかな、私の寝不足も限界に
きてまして、母に交替すると母は父の手を握りつつ、ずっと静かな子守歌を
歌っていました。明け方もずっとそうやって父を落ち着かせていて、
弟にタッチして10分後、「呼吸が止まった!」という弟の声で母と私は
飛び起きます。

1分ほどの呼吸停止。しばし見守ると再度呼吸再開。
でも確かにわかりました。もうじきだな、ということが。
弟が先生に電話して先生もすぐに駆けつけてくださいました。
もうその時は数時間前までは強かった右手の力もすっかりなくなり、
口が動くだけの息にならない呼吸が何度かあります。
「下顎呼吸やね」と先生。「多分もう1,2回」。母と私が父の両頬に
くっついて、もう出てくる言葉は「ありがとう」しかないんですね。

父は母と私のことが心配で、ただただ精神力のみで頑張ってくれて
いたんだと思います。「私、これからも頑張るから!心配しないで!」と
言った他はひたすらに「ありがとう」ばかり。
世話させてもらえて嬉しかったよ、幸せだったよ。
いい人にいっぱい会えたよ。いままでありがとう。ありがとう…。

先生の言葉のとおりに父の呼吸は静かに止まり、その後再開しませんでした。
しばし後に最初からずっとお世話になっていて、父が最も信頼していた
看護師のAさんが同僚のSさんと二人でエンジェルケアに来てくださいまして、
父もすっかり綺麗にしていただきました。お気に入りの大島の着物を
着せてもらって、最期までずっと右手に握っていたくまさんのミニぐるみと
お数珠を手に持って。

伯父や叔父夫婦、Eさんが来られて、葬儀の次第と役所関係の緒手続の
相談になります。寝不足でぼーっとしている母と私に代わって、
葬儀の詳細は叔父が主に細かく手配してくれまして、Eさんは私と区役所に。

ぼーっとしている私を横に座らせておいて、とり合えず必要な手続き全部を
やっていただきました。もう、Eさんの家の方向に足を向けて眠れない
くらいにお世話になりました。

帰りのタクシーを待つあいだ、私がEさんに「ふと気がついたら今朝は私、
精神安定剤とか、救心とかも飲んでなかったけど、不思議と全然動揺して
いないみたいです」と話すと、「やり遂げた、という気持ちの方が
大きかったんじゃないですか」と言われました。きっとそうですね。
生きているあいだに父にしてあげたかったことは全部出来たと思います。

帰宅しますと、葬儀社の担当の方が父のベッドまわりを整えていて
くれまして、「いいお顔をされてますね」と言われます。
エンジェルケアの直後には眼も口も閉じさせていただけたはずなんですが、
気がつくと父の左目と口がうっすらと開いています。
「このお顔はお釈迦様が入滅された時のお顔を同じだそうです。
大変の徳の高い仏様ですね」と言われまして、それを聞いて、
ああ、よかった、父は本当にいい所に行けたんだ…という安堵の涙が
流れました。

父は私のスピリチュアルな迷いを断ち切るように、非常にしっかりした
小さな奇跡のようなものをたくさん残してくれました。その意味でも
私の充足感は大きいと思います。きっと寂しさはあとでじわじわ
くるんでしょうけれど…。

ここまでのことで私は充分に満足しましたので、お葬式はおまけだと
思っていました。その「おまけ」でもまたいろいろなことがあったんですが、
それはまた後日…。

はるうさぎ (id:haruusagi_kyo) 6年前


*葬儀の前後のことも載せてもいいでしょうか?

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